海亀の碑

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海亀の碑
海亀の碑

あけましておめでとうございます。
「伯耆」という地名の起こりは『伯耆民諺記(みんげんき)』によりますと、昔は八岐大蛇に食われかけた稲田姫がこの地に逃げ「母来(お母さん早く来て)」と言ったので、母来(ははき)の国と言っていたが、ある年、この国の海岸に白い亀が上陸したので、時の国司はこれを喜んで、母来から白亀(はくき)伯耆(ほうき)と変えた、のだそうです。
亀が海から上がればめでたいこと、として祝う風習が昔からあったことを物語る話です。近年でも亀が魚と一緒に上がったりすると、吉事の前兆・長寿の印として喜び、亀にお酒を飲ませ、海に返してやったものだそうです。海で遭難したら、亀が現れて助けてくれたとか、海亀を家に入れると火事や病気になる、亀が山や岩に登ると大雨、亀の腹に自分の名前を書いて放すと字や勉強が上達する、など亀についての伝承は各地に多くあります。

大正9年の春、和田の人が手繰網漁をしていたら、網に亀がかかりました。漁師さんは風習に従って、亀にお酒を飲ませて海に返してやりました。亀は沖に向かって泳ぎながら遠ざかる和田浜を振り返り、振り返り挨拶して帰って行ったそうです。漁師さんはその亀のために来待石で小さな祠を建ててやり、旧暦7月26日に祭りをしておられました。この夜は六夜待の夜で、盆踊りをしながら月の出を待ったそうです。当時は露天も出るほどり賑やかさだったようですが、今はその漁師さんの家が静かに祭っておられます。浜の人のやさしさを物語るいい話です。

さて民話では、

…そんな亀男さんを好きになった鶴子さんは、亀男さんに結婚を申し込みました。亀男さんは顔を赤くしてノッソリ、ノッソリ考えていましたが、やおら鶴子さんに言いました。「わしも鶴子さんに言いました。「わしも鶴子さん、お前さんが好きだども、鶴は千年・亀は万年 言うけぇ、鶴子さんと一緒になって千年は楽しかろうが、後の九千年をわしゃあ一人でやもめ暮らしをせにゃあならん。男やもめに何とやら言うけぇ、いい話だども、まあこの話無かったことにしょう」と言って破談になったそうですと…

今年も多難な年になりそうですなぁ。


和田の松林の中で静かに祭られている祠

平成15年1月号掲載

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掲載日:2011年3月22日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。