安産の寺 穴太寺

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安産の寺 穴太寺
安産の寺 穴太(あのう)

「大山縁起」にある話です。

…天仁2年(1109)、薬仁という高僧が、伯耆国日野の岩屋で修行し、大山寺に来て権現の社壇(現大神山神社奥宮)で天下大平の祈祷をされることになった時のこと。
高僧の祈祷なので多くの供物が仏前に供えられた。強盗共がそれを聞きつけ、供物を盗みにやって来たところ、中からよろいを着た武者が一人出てきて盗人共を散々にやっつけた。薬仁は祈祷しながら何やら外が騒がしいので、仏壇を見たところ、日野の岩屋から持ってきた毘沙門さまの像がみえない。あわてて外に出てみると、その仏は石段の所に立っておられた。強盗共と戦われたのはこの仏だったと知り、有り難く拝みながら、この話は丹波国の穴太寺の観音さんの話と同じだと思われた…

丹波国穴太寺(現:京都府亀岡市)の観音さんの話とはこういう話です。

…丹波国に宇治宮成という者がいた。京から仏師を呼んで観音像を彫らせた。見事に彫り上げたので、宮成は仏師に礼金とは別に自慢の葦毛の馬を与えた。仏師は喜んで帰途についた。ところが宮成は仏師に与えた馬が忘れられず、仏師の後を追って弓で仏師を射殺し、馬を取り戻して家に帰り、仏壇に行って見ると、仏師が立派に彫り上げた観音さんに自分が射た矢が立ち、金の肌から赤い血が流れていた。宮成は驚いて矢を引き抜き、馬屋に行ってみると、馬は居らずわら靴があるだけだった。仏師は何事もなく京へ帰っていた。宮成は改心し、穴太寺を建て、その仏像を本尊として納めた…

この穴太寺は西国33ヶ所霊場の第21番札所で、実は安産のお寺としても有名で、米子にも私の知る限りでは道笑町2丁目と上安曇の人が勧請しておられます。人生最初の難関は誕生の時です。市内にも安産石とか一宮講とか安産祈願は多彩に残っていますが、この穴太寺(穴生寺・あなうんじさん)も厚く信仰されていたようです。
皇太子様のところでも世継ぎの御子の誕生が近いそうで。全国民に注目されてのご出産で、なにやらお気の毒に思いますが、ご安産を願って今月は穴太寺の話。


上安曇のあなうんじさん


道笑町の穴生寺さん

平成13年11月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。