米子のまちは昔から、山陰道と出雲街道、境港を利用するひとが行きかう、「交通の要衝(重要な場所)」として商業が発展してきたんだ。
戦後いちはやくに、中心市街地に商業者たちが店を開いて、そのあとの経済発展とともに成長して、大型アーケード商店街やデパートなどができたんだ。
その後、山陰自動車道が開通したり、郊外(まちの中心からはなれたところ)の道路の発展により、商業の店も郊外へと広がっていたよ。
さいきんは、商業の事業所の数はへってきているんだけど、お店ひとつひとつが大型化していて、小売店の売上げはふえてきているよ。
よなごの商店街
1951年(昭和26年)に「土曜夜市」がはじまったんだ。商店街のひとたちが協力した催しは、当時全国に先がけておこなわれたもの!
今でも、こういった催しは、かたちをかえて続いていて、さいきんは「戸板市」や「にぎわい市」などが開かれているよ。
1959年(昭和34)年には、本通り商店街と元町通りに、山陰では初めて(!)の商店街のアーケードが完成したんだ。のちに、このアーケードは、米子駅前通りの一角から加茂川のほうに向けて、800メートルという長さにまで発展。「商都米子」を象徴するものとなったんだ。
さいきんは、古くなったアーケードが取りはらわれているところもあって、開放的で近代的な空間もできているよ。
商店街にある店では「高島屋」などの大規模店舗などがあったり、江戸時代からかたちを残しているお店もあったり、今と昔が交わっているという特徴があるんだね。