「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」というストーリー

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「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」というストーリー

「大山さんのおかげ」 ―「神(いま)す山」に生まれた「地蔵信仰」―

大山の山頂に現れた万物を救う地蔵菩薩菩薩(ぼさつ)への信仰は、平安時代末以降に牛馬信仰を育み、牛馬のご加護を願う人々を大山寺に集めました。

大山の裾野に自然に生まれた牛馬の市は、江戸時代には大山寺に庇護(ひご)され、信仰に裏打ちされた全国唯一の「大山牛馬市」として隆盛を極め、明治時代には日本最大の牛馬市へと発展しました。
西国諸国からの参詣者や牛馬を連れた商人などの往来でにぎわった「大山道」沿いには、今も往時を(しの)ぶ石畳道、かつての宿場の町並み、牛馬とともに暮らした生活の様子をとどめる農村の景観、独特の食文化、そして「大山の水」にまつわる行事や風習が伝わり、人々が日々「大山さんのおかげ」と感謝の念を(ささ)げながら、大山を仰ぎ見る暮らしが息づいています。

大山山麓地域の日本遺産ストーリーは、地域に多数ある歴史物語の中から、大山の水に端を発する大山信仰大山道・大山牛馬市の歴史に光をあて、建造物や生活様式、食文化、民俗や風習などの地域に伝わる指定・未指定の文化財を構成文化財群として結んだものです。

 

ストーリーを構成する文化財のうち、米子市に関連するものは次の3つです。

 

大山道(尾高道)

中世の要衝であった尾高城と大山寺を結んだ古くからの参詣道。江戸時代には旧会見郡や米子城下の商人などが行き交う主要参詣道でした。

旧加茂川の地蔵

咲い(わらい)地蔵

江戸時代から旧加茂川沿いに設けられた地蔵札所や祠堂(しどう)。地蔵信仰が大山の裾野まで行き渡っていたことを物語るものです。

大山おこわと大山そば

大山参りの弁当として親しまれた大山おこわ。大山牛馬市の名物として親しまれた大山そば。いずれも大山山麓の伝統食です。

掲載日:2016年5月9日