平成24年成人式記念感想文入賞作品を発表します

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平成24年成人式記念感想文入賞作品を発表します

…入賞作品を発表します

成人式の記念行事として募集した記念感想文には、学生や社会人から13人の応募がありました。
その中で、次の4作品を入賞作品に選び、成人式式典で表彰しました。

【最優秀賞】

「僕の夢」
荒濵 敬信(あらはま たかのぶ)さん

【優秀賞】

「誰かが幸せになるのなら」
井丹 奈都美(いたみ なつみ)さん

【入選】

「生きること」
内山 亜梨沙(うちやま ありさ)さん

「成人になって」
三上 翔平(みかみ しょうへい)さん

記念感想文 入賞者
最優秀賞 荒濵敬信 さん

 表彰作品

【最優秀賞】

「僕の夢」

荒濵 敬信

僕は鳥取県米子市に生まれ育ち、今年20歳となりました。米子市は美しい日本海と大きくそびえ立つ大山に囲まれた、とても自然豊かな土地で、毎日どこかで必ず自然と触れ合え、心も体もリフレッシュできる場所です。僕は、この米子市で成人式を迎えられたことを、とても嬉しく誇りに思います。

僕は現在、小学校5年生のときからの夢だった「看護師」を目指して、米子北高等学校の看護専攻科で勉強しています。5年一貫教育を今年で終了し、3月に卒業して、社会に出る予定です。

僕が看護師を目指したのは、祖父の病気がきっかけでした。祖父は脳梗塞で倒れ、右半身麻痺となり、車いすで生活しています。祖父の入院中、病院で多くの看護師さんが働く姿を見て、小学生だった僕はかっこいい思い、憧れを抱きました。その時から看護師への夢が始まりました。15歳で夢への第1歩である米子北高等学校看護科に入学し、看護を学び始めました。そして現在、最終学年を迎えています。夢を叶えるために過ごしてきた5年間を思い返すと、たくさんの壁にぶつかり、辛かった日々もありました。しかし、僕の夢が変わることはありませんでした。本当に多くのことを学び・感じ・得た5年間だったと思います。病院や施設での実習も多く、一つ一つを思い返せば際限がないほど、本当に貴重な体験・経験をさせていただきました。教科書で学ぶだけではなく、実際に患者様と関らせていただくことで見えてくるものもたくさんありました。患者様は病気を抱えておられるのに、いつも笑顔でした。その笑顔に何度も元気を頂きました。患者様から「ありがとう」と言っていただくたびに、看護師という職業への思いは強くなっていきました。

私事ではありますが、看護師という夢を誰よりも応援してくれていた祖母が、去年の6月に亡くなりました。入院中、祖母が看護師さんに対して、「この子は看護師になるんですよ」と笑顔で話していた光景が、目にくっきりと焼き付いています。祖母には、「看護師になったら1番に報告する」と約束していました。直接報告することはもうできませんが、きっとどこかで僕を見守り、応援してくれていると思います。祖父のため、そして、自分自身のために、必ず看護師になると、強く思っています。

今年の4月1日から、この米子市で、看護師として働く予定です。今までの20年間、本当にさまざまなことがありましたが、多くのかたがたに支えていただき、ここまで成長することができました。僕は米子が大好きです。その大好きな米子に少しでも恩返しをしていけるよう、支えてくださったかたがた、そしてこれから先支えてくださるかたがたに心から感謝をして、僕が目指している、患者様を少しでも元気づけられるような、「笑顔の似合う看護師」になれるよう、これからも一歩一歩着実に進んでいきたいと思います。

【優秀賞】

「誰かが幸せになるのなら」

井丹 奈都美

「おわった。」
2011年3月11日。私は、宮城県出身です。米子市で暮らし始めて、何年も経ちますが、宮城には多くの親戚や知人、そして祖父母が暮らしています。
震災から5日間、連絡がつかず、明日が来ることを怖いと感じる毎日でした。
思い出の地が、すべて海に流されていく様子をただ呆然と見ることしかできず、そして多くの命が奪われている中、何もできない自分に虚しさを感じました。

それから、徐々に輸送手段が回復したので、物資を買いに行くと、薬局では化粧品が入っている袋を、パン屋では食パン1斤を、店員さんから渡されました。被災地に持っていってくださいと、言われたのです。私は、驚くと同時に、喉につまる苦しい思いが溶けて流れ出るほど、温かく優しい気持ちになりました。面識もないかたが、私の話を聞き被災地のことを思ってくださる気持ちに感動しました。また、たくさん募金が集まっている様子や支援してくださるかたがたを目にし、米子の温かさを心の底から感じました。そうだ、私にもできることをすればいいのだと、気づかされたのです。それから私は、被災地から越して来られたかたの元を訪ねました。そのかたは、涙を流して喜んでくださり、私もとても嬉しかったです。

それでも、私は無力な人間です。しかし、今の自分にできることを積み重ねていくことが大切なのだと思います。例えば、いつも気を張っている母が、宮城に帰るときはとても穏やかになります。そんな姿を見ていると、私も嬉しくなり、幸せな気持ちにさせてくれるのです。同じように、私が元気に笑顔でいるだけで、愛や力を私の家族に与えることができるかもしれない。また、いつもキラキラ輝く素敵な笑顔でいれば、偶然すれ違った人を幸せな気持ちにできるかもしれない。人が本当に困っているときに、仕事としての役目や責任だけではなく、1人の人間として大きな力を与えられる人間になりたいのです。

私は、10代最後に、生きているだけ幸せだということを学びました。また、支えてくれる家族が元気に生きている幸せ。今まで支えられた分、これからの20代、そしてこれからの人生、家族をしっかり支えられるようになりたいです。

良いことも、良くないことも起こるのは一瞬です。時間は、止まりません。人間には忘れる能力があります。それは、きっと喜びや悲しみに浸りすぎず、前に進むためではないでしょうか。「つらいことは、すべてのおわりではない。むしろ、ここからが始まりなのだ。」私は、この言葉を信じて明日へと生きていきます。今、こうして成人を迎えられたことを幸せに思うと同時に、祈りを込めて、「私を成長させてくれた、この米子市が、そして日本中が、幸せでありますように。」

【入選】

「生きること」

内山 亜梨沙

以前私は友人と、こんな話をしたことがあります。
「死ぬことは簡単である。なぜなら、死にたいと思えばいつでも死ぬことができるのだから。しかし、生きることは簡単ではない。どんなに生きたいと思っていても生きることができない人だっているのだから。」

確かに生きることは簡単ではありません。この世に生を受けた後、誰にも支えられず生きてきた人はきっといないでしょう。昨年、ニュージーランドのクライストチャーチで起きた大地震、また東北地方を中心に起きた東日本大震災により、私たちと同じ年の多くの若者が犠牲となりました。彼らは成人を間近に控え、命を失うことになったのです。成人を前に、病気、事故で命を失ってしまった人々も多くいるでしょう。彼らは、どんなに生きたかったでしょうか。そして彼らは、どんなに将来という明日を生きたかったでしょうか。人とは、奇跡が重なりこの世に生を受け、奇跡が重なり新たな友人ができ、奇跡が重なり夢ができるものだと考えます。そして、奇跡が重なり今の自分が存在するのではないでしょうか。どうせなら、その奇跡に感謝し、「生きる」ということを思う存分まで楽しんでみたいものです。

私は、苦しい時や悩んだ時、ある1つの映画のフレーズを思い出します。「ポーラー・エクスプレス」という映画をあなたは知っていますか。「サンタクロースを信じたいという思いはあるものの、本当に見たことのないものを信じてよいのだろうか」という1人の少年の葛藤をもとに作られたファンタジー映画ですが、その中に素敵な言葉があります。

“It doesn't matter where they're going. What matter is deciding to get on.”

日本語訳すると、「大切なのは列車の行き先じゃない。乗ろうと決めたことなんだ。」という意味になります。

この20年間私は、私の選んだこの道は、人生において最良の道であったのだろうかと、何度も考えたことがあります。私の幼稚園の頃の夢は看護師さんです。小学生の頃の夢はスーパーの店員さん、中学生の頃の夢は陸上競技選手です。しかし今の私の夢は、私の生まれたアメリカ合衆国で、私の大好きな陸上競技、そして私の大好きな日本を、多くの人々に伝え、日本とアメリカ合衆国を結ぶ懸け橋になることです。
私は幼稚園の時、「看護師」という行き先を目指し、人生の列車に乗りました。しかし、その行き先は、看護師でもスーパーの店員さんでも、陸上競技選手でもありませんでした。もしかすると、今の私の夢も行き先ではないかもしれません。しかし今、私はその夢を信じ、確かに歩み始めています。大切なのは行き先ではなく、乗ろうと決めたことなのですから。たくさんの奇跡が起き、たくさんの人に支えられてきた人生なのです。列車の行き先ばかりを考えるのではなく、何度も挑戦し、行き先の分からない人生を精一杯楽しみながら、これからも生きていきたいと思います。

「成人になって」

三上 翔平

成人になって私は様々なことを思い出しました。その中で、強く印象に残っていることは、自分が自衛隊へ入ろうと決めた時のことです。それは自分が高校1年生の時に起こった新潟中越沖地震です。テレビでいろいろな映像を目の当たりにする中、釘付けになる場面がありました。被災地のかたがたを必死に救助する自衛隊員の姿に一目惚れし、自分も国のために貢献したいと思い、自衛隊へ入ろうと決めました。

自衛隊へ入隊したばかりの頃は、自衛隊の活動は災害派遣というイメージが強かったのですが、実際、新隊員教育を受けるとそのイメージも変わり、自分の考えかたも変わるようになりました。自衛隊は、災害派遣だけではなく、地域の催し物の支援や各種大会支援などで、地域に貢献できるよう活動すると共に、またいつ災害が起きても対応できるよう常に即応態勢を整えていることなどを知ることができました。そして東日本大震災では、自分も災害派遣活動に参加し、支援活動を行ないました。被災地のかたがたと直接触れ合うこともできました。自分の身で地震津波災害の恐ろしさを体験するとともに、水の大切さ、食べ物の大切さを知り、改めて普段の自分がいかに楽な生活をしていたのかを気付かされました。20年間の中で、このような経験をすることができ、良かったと思います。この経験を活かして、自分をもっと成長させていきたいと思います。

今自分は、成人という節目の立場となり、いろいろな行事や訓練に参加し、自衛隊でしかできない体験をさせてもらい今の仕事に誇りを持っています。

最後に、これからの人生を悔いの残らないように歩んでいこうと思います。辛い時や不安な時は、最も信頼のおける人に相談して解決し、また困っている人がいれば相談にのってあげようと思います。今後さらに心身を鍛え、一人前の大人になっていこうと思います。

掲載日:2012年1月11日