よなごびと第46回「青砥睦彦さん(夜見遺族会)」

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よなごびと第46回「青砥睦彦さん(夜見遺族会)」

”子どもたちには戦争のつらさを
二度と味わわせてはいけない”

青砥睦彦さん 夜見遺族会

終戦から今年で77年。戦争体験者が高齢となる中、米子市の遺族会では戦没者を慰霊、追悼し、戦争の悲惨な記憶を後世に伝えています。

夜見遺族会では慰霊祭を続け、戦没者を追悼している

夜見遺族会の青砥睦彦さんは、太平洋戦争のビルマ戦線で父・一雄さんを失いました。一雄さんは睦彦さんが生まれたとき、「元気な男の子が生まれた」と近所に自慢して回ったと言います。そしてそのわずか2か月後に召集され出征。激戦地となった終戦間際のビルマで、大隊が川を渡る際、砲撃を受けて亡くなりました。一雄さんは28歳でした。遺骨はなく、家族の元には川の砂が送られてきたと言います。「お父さんと一緒にご飯を食べたり、風呂に入ったりしたかった」と、父子の日常が戦争によって奪われたことを睦彦さんは悔みます。一雄さんの他にも、夜見地区では100人に近い人が戦死しており、夜見遺族会では今も慰霊を続けています。

米子市戦没者慰霊碑には戦争の犠牲となった方の名簿を納めている(ふれあいの里)

睦彦さんは、これまでに小学校や地区行事で自身の戦争の記憶を伝えてきました。話を聞いた小学生からのお礼の手紙には戦争の悲惨さや命の大切さについてつづられており、「戦争の記憶を風化させてはいけない」と感銘を受けたと言います。「今日の日本の平和の礎は、私たちの父や母、数百万の人たちが尊い命を捧げて築き上げたもの。私たちは戦争のつらさを二度と子どもたちに味わわせてはいけないのです」と睦彦さんは力を込めます。

掲載日:2022年8月26日