原始の米子

本文にジャンプします
原始の米子

土器
<写真> 縄文(じょうもん)時代の土器(どき)

米子市のあたりには、今からおよそ2万5千年も前の氷河期(ひょうがき)から人が住んでいたんだ。

およそ1万年前からは縄文(じょうもん)時代が始まったんだ。米子市では、人びとがくらした家のあとや、食べ物の煮炊(にた)きや保存(ほぞん)に使った「土器(どき)」という道具が見つかっているよ。それに、食べ物にした木の実や魚・動物の(ほね)、貝がらもたくさん見つかっているんだ。

 

 

妻木晩田遺跡
<写真>  弥生(やよい)時代のムラのあと
妻木晩田(むきばんだ)遺跡(いせき)

およそ2千年前の弥生(やよい)時代には、日本に米作りが伝わったんだ。米子市でも、この時代の田んぼのあとや、米作りに使った道具がたくさん見つかっているんだよ。
また、弥生(やよい)時代の終わりごろになると、家・倉庫などたくさんの建て物や、お(はか)をもつ大きなムラができるんだ。なかでも、米子市と大山(だいせん)町にまたがる妻木晩田(むきばんだ)遺跡(いせき)は、日本でも最大級の弥生時代のムラのあととして知られているんだよ。

 

次へ 古代の米子