淀江公民館と淀江の米蔵

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淀江公民館と淀江の米蔵

淀江公民館の正面玄関に門松が立てられました。この門松は、淀江を美しくする会の皆さんが作られたもので、淀江公民館では、どこよりも早く正月気分を出して新年を迎えようと、毎年12月の第1週に立てているそうです。

淀江公民館の門松(淀江公民館に立てられた門松)

その淀江公民館の敷地には、明治16年に養良小学校(旧淀江小学校)が建てられるまで、鳥取藩の米蔵が建っていました。これは、江戸時代中期の宝暦年間、当時淀江で大庄屋であった柄川五兵衛(えがわごへい)という人が、藩に願い出て許可され、私有地1,500坪と私財を投じて5棟の米蔵を建てて、藩に献上したものでした。

 

江戸時代、汗入(あせり)郡27か村の農民は、年貢米を納めるのに米子か御来屋まで運ばなければいけませんでした。柄川五兵衛は、その農民たちの苦労を救おうとして、淀江に米蔵を作ろうと考えたということです。

 

この米蔵によって、農民たちは運搬の苦労がなくなったことを大変喜んだということです。そしてこの米蔵の存在が、幕末には黒船からそれを守るために、淀江台場を築く原因の一つともなっています。

掲載日:2012年12月5日