山陰初の海水浴場として名を馳せた淀江海岸

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山陰初の海水浴場として名を馳せた淀江海岸

広い砂浜、遠浅、そして美しく静かな海…かつて淀江は海水浴場に最適の地でした。明治35年、山陰最初の鉄道が境―御来屋間に開通し、明治41年に鳥取まで延長されると、人々の行動範囲は広がり、新しい娯楽として海水浴がブームとなりました。

 

明治41年8月15日、淀江海岸では山陰で最初の海水浴場として、盛大な開場式が行なわれました。淀江駅前には大きなアーチが設けられ、列車が到着するたびに人の波がおしよせ、来場者は1万数千人に達したと伝えられています。

 

海水浴場には遊技場、休憩所、跳躍台などが設けられ、売店も軒を連ねました。さらに翌年には設備もさらに充実し、また花火大会や水泳大会が行なわれるようになり、淀江海水浴場は有名となって、臨海学校も盛んに実施されました。

 

しかし、昭和30年代後半から潮流の変化によって砂浜がやせはじめ、昭和40年代に入るとプールの普及などで利用が減少したこともあり、残念ながら海水浴場は閉鎖されました。

淀江海岸の風景(現在の淀江海岸の風景)

現在の淀江海岸には、かつて賑わいを見せていた海水浴場の面影は残されていませんが、きれいな砂浜や美しい海からは、海水浴場として最適の地であったという淀江海岸の姿が忍ばれます。

掲載日:2012年8月1日