鎌倉幕府討幕の戦いで知られる小波城

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鎌倉幕府討幕の戦いで知られる小波城

鎌倉時代の末期、後醍醐天皇は幕府転覆計画を企てて幕府側と争いを起こしましたが、その舞台のひとつとなったのが、淀江町小波にあった小波城です。小波城の正確な位置などははっきりとせず、いろいろな説がありますが、小波字下原田周辺だと考えられています。

小波城跡と推定される場所(小波城跡と推定される場所)

幕府側に捕らえられて隠岐の島に流された後醍醐天皇ですが、その後隠岐の島から脱出し、伯耆国の武士であった名和長年に迎えられて船上山(東伯郡琴浦町)に立てこもりました。

これに対して、隠岐を守っていた幕府軍の武将、佐々木清高は後醍醐天皇を追って小波城に入り、大軍を率いて船上山を攻めました。しかし船上山を落とすことはできず、幕府軍は小波城に退きました。

すると今度は名和氏の大軍が小波城を取り囲み、四方八方から松明を投げ込んで小波城は焼け落ちてしまいました。敗戦の責任から隠岐を追われた佐々木氏は、その後京都に逃れたと伝えられています。

その年に鎌倉幕府が倒れて時代が変わりました。鎌倉幕府滅亡に至る戦乱『元弘の乱』の1シーンが、この小波の地で起こっていたのです。

掲載日:2012年2月22日