謎を残す悲劇の館 佐陀城

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謎を残す悲劇の館 佐陀城

淀江町佐陀にある佐陀神社は、その昔佐陀城があった場所ではないかと言われています。佐陀城については多くの謎を残していますが、悲劇的な話も伝えられています。

佐陀神社(佐陀城跡と伝えられる佐陀神社)

戦国時代の末期、尾高城主だった杉原盛重は、晩年には長男の元盛に尾高城を守らせ、自らは次男の景盛とともに八橋城を守りました。やがて父の盛重が亡くなると長男の元盛が家督を継ぎましたが、弟の景盛は、自分が尾高城主になろうという野望を抱き、兄の元盛を暗殺してしまいました。

 

望みどおり尾高城主になった景盛でしたが、その後元盛の恨みでしょうか、城内を亡霊が徘徊するようになり、それに悩まされた景盛は佐陀に新しい城を築いて移り住んだということです。ところが、元盛暗殺の真相をつかんだ毛利氏は、兵を出動させて佐陀城を取り囲んで景盛を捕らえ、捕らえられた景盛は自害しました。

 

景盛が亡霊に悩まされたことについては事実ではないかもしれませんが、親族同士で争うことが珍しくなかった戦国の世ならではの悲劇です。景盛が自害した場所と言われている島根県出雲市平田町にある大林寺では、景盛と父の盛重の墓が立てられて供養されているということです。

掲載日:2011年10月12日