淀江を愛した詩人 生田春月

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淀江を愛した詩人 生田春月

生田春月は大正・昭和初期の詩人であり、作家、翻訳家でもありました。明治25年に米子市道笑町で生まれましたが、両親はともに淀江の人で、明治42年には一時淀江町西原にあった祖母の妹の家の養子に迎えられて淀江に住んでいました。

 

しかし、その後上京し文学の道を歩むことになり、大正6年、25歳の時に処女詩集「霊魂の秋」を出版して詩人としての評価を得ました。さらにほとんど独学でドイツ語を学び、「ハイネ全集」をはじめ多くのドイツ文学を翻訳紹介しました。

 

昭和5年、別府行きの船に乗船しましたが、その途中で瀬戸内海に身を投じて、自ら38歳の生涯を絶ちました。没後44年を経過した昭和49年に淀江公民館前に春月の文学碑が建立され、現在は上淀白鳳の丘展示館前に移設されています。

生田春月の文学碑

詩人としての13年間、苦しみや悲しみに直面した時、春月の心を慰め励ましてくれたものは、淀江の海であり、淀江から見る大山の美しさだったようです。自伝的小説である「相寄る魂」には、大正期の淀江の風物が美しく描かれています。

掲載日:2011年9月29日